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イメージは動画

今まで、想像イメージは静止画、または絵画のような決めつけがありました。

しかし、実際に想像するイメージは動画だと気づきました。
こう動いて、こうなる、こんな表情で笑ってる。

そんな動作の連続、移動する視界、動く人、物事、それは動画で映像として流れています。

手順を静止画で区切るのではなく、生き生きとした動画でイメージしてみたら案外簡単なのではと思いました。

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前提

目標を設定、ゴールを決めた後、動き始めて行き詰まったとき。
そこで、どのように見えてきた課題を達成するか考える。

歩きながら、だいたい見えてくるのは目標設定が間違っていることです。
実は達成したい目標ではなく、”前提としてあってほしい状態”だったと明確になる時が多いです。

例えば、プログラミングに関する記事を公開して後々再利用しやすいように情報を共有したい。
という目標は実のところ、再利用しやすいように情報が整理された状態があれば心地よい。

成果を”作りたい”のではなく、そのような状態で”ありたい”と望んでいると気づくことがほとんどです。

つまりDoではなくBeであると言えます。

ここまで書いていてまたしても自己解決してしまいました。
”作る”と考えるとそのイメージは力みながら動いている映像が浮かんでいて、”ありたい”とイメージしているとき、環境を整えたり、掃除していたりするゆったりと動く映像が流れています。

自分自身、ゆったりと動く日常を望んでいると気づきました。

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期待

「文章を書くときのコツは、相手に期待しないことだ。」
「コミュニケーションのコツは、相手を他人として気遣うことだ。」

そんな言葉が思い出されて、”期待”について肯定的に考えてみました。

そもそも、文章を書くでも、コミュニケーションでも、”期待されている”と思ったほうがいいです。

なぜなら、期待されている前提だとこちらも期待に応えようとイメージが湧くからです。

そもそも、文章を書くにしろ、コミュニケーションにしろ、相手の期待していることは何なのか?何を欲しているのか?は、表情や動作、言動と行動が一致しているか?、または呼吸から、総合的に察する。

相手がこちらに何を期待しているかを察しているからこそ、どこに当てればクリティカルなのか既に知っている。

前提として相手から”期待されている”、こちらも相手に”期待する”は、当然なのです。

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最近、SNSをやめる機会があり、そこで内省しています。

そこで気づいた事の一つが”嘘”についてです。

嘘とは、相手に興味がないのに興味があるふりをして関与することだと考えました。

これは大変失礼だと反省しました。
興味がないのに、興味があるふりをして関与すること。
これによって自分の時間も、相手の時間も希薄になってしまうなと想像して、これは大変失礼なことをしていたなと反省しました。

相手に対して失礼ですし、自分自身ただの嘘つきだなと、自分の意見の無さが最低だなと感じました。

相手の話を聴いているつもりになっても、興味がない話を聴き続けている状態は自分にとって嘘をついていると気づきました。

これもSNSをやめて立ち止まる機会をいただけた今だからこそ出来たと解釈しています。

感謝。

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整理

今まで、サイトを作ったりブログを作ったりして反省していることがあります。
それは、やりっ放しで散らかってしまうことです。

それはだめだよなーと、思い込んでいました。
なぜなら、サイトを作っては散らかして消してを繰り返していたからです。

最近またサーバーを立てて、新しくサイトを作りたいと考えていて、次こそはうまく構造化しようとしています。
しかし、今までのサイトもまだ整理の途中なのでは?と解釈を改めました。

サイトを作る、コンテンツを作る。までは出来ていた。
しかし、コンテンツを整理するは未だに出来ていない。
ただそれだけのことなんだとしたら、次はコンテンツの整理について考えればいいと自己解決しました。

ブログ、SNS、Wikiと”新規作成”から”更新”に目的が変わってきて、次は”整理”に変わってきて、ゆっくりとサイトの作成から運用までの考え方が自分の中で変化してきています。

今、SNSをやめて時間と気持ちに暇が出来たので、あれこれ考えてしまって。
しかし、それが今私に与えられた使命なのだと解釈すれば淡々と行うだけです。

ありがとうございます。

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気忙しい

SNSをやめてみて感じたことは、”気忙しかった”と気づけたことです。

気忙しいとは、読んで字の如く、気持ちが忙しい状態です。

内心なんでこんなに気持ちだけ忙しいのだろう?と、何もすることがない状態になって立ち止まって始めて気づきました。

今は立ち止まるときが来たのかなと、素直に暇な今を受け入れて、ゆっくり生きようと解釈しました。

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ゴール、テンプレート、基礎

こんにちは。masakiです。

最近オンラインゲームで知り合った友達と話していて考えたことがあります。

ゴール・目標の立て方です。

仕事や恋愛、友達関係、精神的なこと、いろんなテーマが飛び交います。
今の自分が置かれている現状を変化させたいと思い、どこを目指して今何をするかを考えるのは話の後。
個人で悩むところだと思います。

例えば、レゴブロックでお城を作りたいと思ったら、日本のお城なのか、西洋のお城なのか、中東のお城なのか。
日本のお城なら、どんなお城だろう。堀があって水に囲まれている城なのか、山城で切り立った崖の上に立っているのか。

堀に囲まれた平城だとしたら、まず堀に使われている石の色はねずみ色に近くて、堀には水が張ってあるから表面がつるつるの青いブロックが必要で・・・と見えてきます。

つまり形作る目標が見えていれば、個々のパーツの形、色は見えてきます。
そのどれもが、小さな粒から成り立っています。

ゴール(目標の形)→ テンプレート(個々のパーツの形)→ 基礎(粒のように小さい一つ)

目標のイメージがあるけど・・・

目標の形が見えていても、テンプレート、基礎が見えてこない。
この場合はどう解釈すればいいのでしょうか。
おそらく目標の形を疑っている。
「自分は本当にこの目標を求めているのか?」
まだ客観的に自分の目標にダメ出しをしているのではないでしょうか?
自分が立てている目標なのに、誰かに許しを求めているような感じがして、没頭できない。

誰かに自分の幸せや成功を証明するために立てた目標であり、理性に寄りすぎている。
自分の感情で素直に満足できる想像ではない。

まず寄り添おう

自分が考えたこれだという目標にダメ出しをしている自分に寄り添う。

「そうだよね、その目標よりももっと簡単な方を選んだほうが簡単だよね。」
「もっといろんな苦労しないと、そんなところへ行きつけないよね。」
「お前にはできるはずがないって、確かにそう思うよね。」

そういう目標を止める声ってだいたい親とか自分の過去をよく知ってる友達なんですよね。

でも過去にできなくても今ならできる。そういう自分を止める声にすら寄り添って、祈ろう、進もう。
「私もあなたにも目標があっていい、ゆっくりでも進んでいけます。大丈夫。」

落ち着いて今一度

本当に自分がやりたかった目標だったのか、羨ましかっただけなのか。落ち着いて今一度振り返ると、自分の目標を見直せます。

誰かに急かされていただけで、本当はこうしたい、こういう形、色だ!って思えるかも・・・

私はそれが無駄ではないと思います。
目標を達成した後に、ホッとしただけのことで満足感も安心も得られなかった経験からです。

頑張ってしまう人ほど、何かを達成した後にホッとしただけでまた慌ただしく動いてしまう人が私だけじゃないと知ってから、落ち着いて考える・感じるのは、丁寧に計算した結果間違いが少ない時と同じだなと分かったからです。

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気になること

PCのメモリ

PCのメモリを買おうと思って、どのメーカーが一番耐久性があるのか気になった。

【2022年最新版】おすすめメモリの比較と選び方 規格と容量ごとにメーカーランキング評価 | ITハンドブック: http://arbitrage.jpn.org/it/memory-ranking/

ITハンドブックさんの記事が参考になりました。
ありがたい。
NANDメモリはマイクロンって会社のものを選んでおけば良さそう。
クルーシャルのメモリってマイクロンが作ってるんだね。へー。

【2021年版】おすすめなSSD「7選」:自作歴20台以上の筆者が解説 | ちもろぐ: https://chimolog.co/bto-best-ssd/
もちろぐさんの記事は、パソコンを改造するときに参考にさせてもらっていて毎回助けられてます。ありがたいです。
SSDはサムスンが安定ってことが分かりました。ふむふむ。

書き込み、編集に集中できるSNSってあるのかな?

SNSは読むことばかりに気を取られていて、書くことがあまりできない感覚がある。
依存するように作られているってこともあるってのはよくわかります。

しかし、読んでばかりいると誰かの世界、誰かの物語にばかり入っていて、私、もしくは私たちの世界、物語を描くことを忘れている気がしました。

最近はアニメの音声だけ聞きながら、ながら作業しているんですが、なんか身が入らない。作業はできているけれど気が散っている感じ、気持ちがこもらない感じがして。
自分軸と表現するのがあっているのか、主観と言ったほうがいいのか。体の感覚が薄い感じがして。
やっぱり、体を通して想いが伝わる感覚を大事にしたいです。

公開型wiki

これ公開型なのかな?
BookStack: https://www.bookstackapp.com/#features

公開型にも設定できるっぽい。ふーん。

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大宮高島屋ジュンク堂へ行って

そうだ、ここにいる人たちは

分かろうとして本読んでる力みがまるでない。

分かろうとしてない。

わかる分からないの二元論で判断していちいち反応してない。

遊んでるような

撫でているような余裕がある。

量子論だ。

失敗する確率も考慮されてる。

力が入ってない。

ただなぞっているだけの様な感じがする。

本を立ち読みしていて感じたのは、本があるのと立ち読みしてる時にある、他には何もない空間だ。

手に取って考えられる余裕がある。

—ここまで、メモ

今日は、エンベデッドシステムスペシャリスト試験の参考書を買いに行こうかなーと思って、なんとなーく大宮まで足を伸ばしてみました。
楽しかったー。ゆっくり歩いて、癒やされた一日になりました。ありがてぇ。

なんとなくPythonの参考書も立ち読みして、買おうかなーと思ったけど、なんか違うなって感じてやめました。


最近息苦しいというか、行き詰まっている感じがして、どうしたらいいのかなーと悩んでいました。
今日は午後の2時ぐらいからゆっくり川沿いを散歩して、本当に半歩ずつぐらいのゆっくりペースで歩いて、だんだん体と一緒に呼吸のペースもゆっくりになって癒やされました。

あるきながら、またジャッジメンタルになっているなーとふと自分のセルフトークを振り返りました。ジャッジメンタルって、判断しすぎているって意味です。書籍でいうと、「ずっとやりたかったことをやりなさい」や「最高の休息法」に書かれています。いちいち起こったこととか思い出したことを判断していることをジャッジメンタルって言います。

ジャッジメンタルになっていると、疲れるんですよね。
「あのときああできなった・・・」「なんであれできなかったんだろう。」ばっかりだったからです。

「反応しない練習」って本を立ち読みして、あーそうだ心のなかでしてる判断しても流していいんだ。と思い出しました。
「どんな本でも大量に読める「速読」の本」って本を読んだ時を思い出しました。わかろうとして読まないでどんどんめくるって書いてありました。

そこで、自分の性格とか真面目な自分って態度自体が、行動一つにしても感じ方も、考えものだなーと思いました。

話戻すんですけど、エンベデッドシステムスペシャリスト試験の参考書めくってて、問題一つ一つに真面目にいちいち、できたできないを判断しているから気持ちの余裕、気持ちの余白がなくなって疲れちゃうんだろうなーと思いました。

インテリな人ってきっと勉強と言う言葉から、別に特別な力みとか意味とか意義とか感じてないんだろうなーと。

問題の一つであっても当たるときもあるし、当たらないときもある。そう考えると正解するときも不正解なときもあるから、その両方の余白をどれだけ用意できるかってだけだなーと、腑に落ちました。

仕事にしろ勉強にしろ、仮説や課題にどれだけ空白を用意できるかだけなんだなと。


ただ確率の重ね合わせなんだなーと。
この後にスピリチュアル系の本も読んで、途中まではうんうんとうなずけて、ワクワクした祈りだけしましょうと書いてあったのは違和感に感じました。
ワクワクとかは良くて、それ以外がダメだと判断したとしたらネガティブな感情が湧いたときに、判断が生じちゃうので強い願いや強い祈りも、それはそれで逆にできそうな感じしないと直感で感じました。

撫でるぐらいの感じで、祈るのが気持ちよさそうと想像していました。

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前にも後ろにも進めないで検索して・・・

一人暮らしを始めて約3ヶ月が経ちました。
確か一ヶ月前ぐらいに「前にも後ろにも進めない」で検索して、そのままこの記事のタブが閉じられずに、ずっとブラウザの左端の方にいたまんなになってました。

あなたが前にも後ろにも進む事が出来なく為ってしまった時には – この道の果てまで・・・

そっか、なんかこのモチベーションもクソもない無味乾燥な自分でいいや。
試しにこのフラットな自分でしばらくいてみよう。