グリザイアのワンシーンを思い出した。
雄二は麻子のバイクで北海道を一人旅をする。バイクをぶっ壊して歩いてる途中で自分に足りないものは青春なんじゃないか?と思い至り、帰ることにする。
帰ってから麻子の墓参りへ行き、麻子が好きだったビールを墓に流しかけて話しかけるシーン。
このシーンが好きなんだ。
雄二の土産話に「楽しかったか?」と、麻子が生きていたら尋ねそうな一言。
「まぁ、そこそこ楽しかったよ。」と雄二が返答する。
麻子の優しさ、寛容さが感じられるこのシーンが凄く好き。
最後になんて聞かれるか?これが大事だと思った。
「ちゃんとできた?」だと、終始動きは決まっていて堅いイメージを終始一貫連想する。
「楽しかったか?」と麻子が言うみたいに、自分が感じて楽しめた?って問が前提として相手を一人の人として認めた上で尋ねているように見えて、わたしには響いて感じとれた。
冒頭で麻子がこう言っている「自分で見て感じて発見して理解する。そうすると視野が広くなってくる。わかるか?」
旅を客観的にできたかじゃなく、主観的に味わえたかを重視している所に麻子の人間味が見えるから心にジーンと響く。
旅と同じように、何かしらの行動をしたあと最後になんて聞かれるか。それが行動の振る舞い、自由さを決めるんだと思えた。
麻子みたいに「楽しかったか?」と言いたいし、言われたい。